あれから1年 _______78番目の男と看守長そして私の物語

 

全私が泣いた、舞台グリーンマイル初日公演から早1年。はやすぎる。今でも新明に思い出せるこの舞台。当時私が記録していたレポをもとに一年経過した今私が思うことを記録していこうと思う。因みに私は原作そして映画どちらも観ずに臨んだ。そして今も観れていない。この舞台を忘れそうで、忘れたくなくて怖いから。

 


✱Cast
・ポール・エッジコム(加藤シゲアキ
・ジョン・コーフィ(把瑠都
・ブルータス・ハウエル(中山祐一朗
・ウィリアム・ウォートン(鍛治直人)
・パーシー・ウェットモア(伊藤俊輔
・ディーン・スタントン(永田涼)
・エデュアール・デラクロア(加納幸和
・ハル・ムーアズ(小野寺昭
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〜1932年、秋 ________ 私と78番目の男の物語〜
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ーSTORYー
1932年アメリカの刑務所死刑囚監房Eブロックで看守長を務めるポール(加藤)の元に一人の大男が連れられてくる。その男はジョン・コーフィ(把瑠都)双子の少女を強姦殺人した罪を持つ死刑囚は、その見た目や罪状に似合わない優しい心の持ち主だった。コーフィは監房に来るなり「助けられなかった」と呟く。また、同時期にパーシー(伊藤)が看守になるしかし、看守らしくない言動傲慢で乱暴自由すぎる態度で他の看守から早々嫌われる同じ監房には、陽気な死刑囚デラクロア(加納)がいた。彼にはネズミのミスター・ジングルスという糸巻き芸のできる大切な友人がいた。ある時Eブロックに、暴れ狂う死刑囚ウォートン(鍛治)がやってくる。ウォートンは根からの悪者で数々の犯罪に手を染めてきた人物だった。ウォートンは看守たちをからかい檻から手を伸ばし看守を捕まえたり看守たちを弄ぶ。ウォートンがやって来てから監房はピリつき、騒がしくなる。そんな中コーフィはポールの尿路感染症を触れるだけで治してしまう。ポールは驚くが、コーフィが何をしたのかわからない。でも助けたと答えると不思議ながらも納得する。その後もパーシーが潰したミスタージングルスを生き返らせたり次々とコーフィは不思議な力を使い"助けて"いくムーアズ所長のメリンダが脳腫瘍で先がもう短いとわかった時ポールはコーフィを脱獄させてムーアズ所長のところへ共に行きコーフィの力を使ってメリンダの病気を治そうと考え実行に移す。計画は無事上手く行きメリンダの病気は治ったがその時吸い取った悪いものをコーフィはすぐに吐き出さず帰ってきてからパーシーにそれを移した。錯乱状態に陥ったパーシーは寝ていたウォートンに持っていた銃で乱射して殺害。優しく純情だったコーフィがなぜ、パーシーを通してまでウォートンを殺したのか。深まる謎にポールは困り果ててしまうしかし、ポールは知りすぎてしまった。少女強姦殺人の第一発見者に自ら話を聞きに行ったところ殺人犯はウォートンだったことがわかった。それを見たコーフィは二人を"助けよう"とした。しかし、間にあわなかった。ポールは看守の仲間とコーフィを殺さずにする方法を考えるがもう一度起訴できる程の力がないことを無念に思い苦しむ。唯一の子持ち看守ディーンは自分が人を殺すという仕事をしながら一人の命を育てている
という現状をコーフィの一件を通じ目の当たりにして辛くなる。コーフィを救える方法がないままコーフィの最期の夜がやってくる。ポールは尋ねる

「明日の飯のメニューの希望はあるか」
コーフィは最後にポールの手を握り何かを委ねるそしてコーフィは死刑前の祈りを牧師ではなくポールにやってほしいと頼む一度断ったポールだったが承諾し遂にコーフィの処刑は近づく。コーフィの処刑の前の祈り約束通りポールが執り行った。自分が幼い頃教わったというお祈りもコーフィ自らが捧げ遂にポールや他の看守達と共にグリーンマイルを歩き電気椅子に向かう電気椅子に座ったコーフィは顔にマスクをかけられる前にこう言った"掛けないでくれ、暗いところは苦手なんだ"望み通りマスク無しのままコーフィは処刑された。無罪のまま。物語は終盤に向かい加藤の語りの元で始まる「あれから70年、周りは皆死んだ…〜」あの時コーフィが死ぬ前ポールに宿したのは、自身の寿命だった。コーフィは、ポールに「生きる」という罰を与えたのだった
"人は誰しも必ず死ぬ。それでもコーフィ、このグリーンマイルはあまりにも長過ぎる"


まず、全体的な感想としては
照明(投影)演出と音響演出が特に素晴らしかった監房のセット自体は正面奥しかないのにそこには誰も入らず、独房の檻のようなセットはないのに照明で床がひとりひとり枠どられ浮いてて舞台ならでは。の演出を観させてもらいました。コーフィが救う時他の人の悪を吸い取った後に起こる悪いものをコーフィーの内部で見てるシーンの表現は舞台天井、壁全面にスクリーンでもあるのか?!という透明さで「闇」が光で投影されて照明演出の凄さに驚きが止まらないし興味深くて面白かった。しかもそれが闇っていう感じで渦巻くから、あぁ、プロだあって。照明の色自体はそんなに沢山使ってあった訳ではないと思うけど使い方が上手かった、音響はやっぱり処刑シーンの音響が、、電気椅子の処刑だから処刑シーンは暗転という方法を取っていたけど、その代わりに音響が凄まじい、、劇場割れるんじゃないかと思った視覚的な処刑の怖さを奪う代わりに音響での補い方が、、、ただ音がでかいっていうだけじゃなくて処刑直前のシーンとした空気感の中に稲妻が落ちた感じ。一気に爆発音がするからリアリティが増して怖くて辛かった。真っ暗中で火花のようにピカッピカって光る光の演出もすごかったな。雷に打たてるみたいなびかーーーって、光る感じを想像してたから、逆に新鮮だった。闇と光のコントラストが映えてて凄い良かった。小道具特に電気椅子の小道具はしっかり頭のヘルメット錆加工までされてて凝ってるなあってコーフィの衣装は当たり前って言ったら当たり前なのかもしれないけどボロボロで、
セリフ上にある、体中傷だらけだっていう傷も施されてた。シゲの既婚者役っていうのも
忘れずにご丁寧に、左薬指に指輪あり。
特に好きだったシーンはポールが考えてて、舞台前方にボーッと立ってるだけのシーン。青いライト3本(拡散ライト)に照らされてボヤーッて照らし出されてるポールが儚く綺麗で憂いを帯びててでもどこか強い意志が伺えて、ただそれだけのシーンだったのに、そこまで感じさせてくれた加藤さんが本当に凄くて、綺麗でボロ泣き。あとは、物語前半尿路感染症の痛みに蹲って悶て床に倒れ込んでる時に後ろにある独房からコーフィに呼ばれて動けなくて振り返った時お顔がべちゃって潰れてて激かわだった、、中盤のトラックでポールとコーフィが監房を抜け出して所長のところに向かうとき
外に出たコーフィが土を触ってる時最初気にもとめなかったのにブルータスが止めようとしたところをポールが「好きにさせておけ、本当ならもう二度と外には出られないはずだったんだから。」と言っていてあぁ、そっかって思ったからやっぱ私まだまだ甘っちょろいなあ、、。切なかった。悲しかったあのシーンをわざと入れたのは監督のそういう狙いなんだなあ、って。まんまとハマってしまった。トラックの荷台に乗って先に乗ったコーフィに深緑色のブランケットを包み込むように掛けてあげたのがぎゅーーーーーんって、、()あれはあかん、、、不覚にもにやけてしまった。格好良かった紳士過ぎた、、役とかしらん!トラックの上でコーフィとポールが見つめ合ってお互い優しくクシャって笑って手を握ったシーンは本当に号泣した優しすぎたのに苦しすぎたお互いもう死ぬって分かってるのにそんなの辛すぎるよ。ポールほか看守たちの会議でコーラを飲むシーンは仲の良いカンパニーの様子が滲み出ていて微笑ましかった。そこに、ウォートンの「俺にもくれ」絡みの始まり(笑)好きな人たくさんいるよねきっと。最期だからって、ポールがコップに一杯だけだぞってウォートンに差し出すんだけど、それを受け取ろうとしたらあげなーいって焦らすあのやり取りがお茶目で可愛かった。それで受け取ったウォートンが仕返しにそのコップを返すときに返さな〜いって同じことするんだけど、極めつけにゲップをお見舞するあのくだり最高に笑ったわ。シリアスなシーンの前にそれを持ってきて、次にくるウォートンが撃ち殺されるシーン続く処刑シーンの辛く切ないのがより際立つ。よく出来ているなと思った。デラクロアが処刑されたとき呑気に焼けて死んじゃったって言ってたウォートンが自分の番になったときの最期の夜、その話はしないでくれって言ったのは本当に辛かった。胸が締め付けられたし、そんな残虐で非道で極悪人間なウォートンでさえもそんな姿を見せられたら死んでほしくないとやっぱり思う。加藤さんの台詞量は想像以上に膨大、長ゼリフも多々ある。その上翻訳劇なのでカタカナ用語は連発。なれない人名や地名をあれだけの量喋れるのは本当に凄いと思う。ネズミのミスタージングルスの引き取り先、マウスビルのシーンは日替わりだったようで私が観劇した回はどちらも違う内容のアドリブ。それに合わせる他の役者さん加藤さんも流石としか言いようがなく私個人的には二回目のほうがお気に入り。

 

 

 

私はありがたい事に2回観劇する機会を得たので、それぞれの感想を、、、。

 

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1回目 9/30 初日公演

当日券で2列目でした。バカ近い。チケット受け取って動揺しまくってとりあえずトイレに避難しました。(笑)今後の為に書いておくとグローブ座のトイレは激混みだぞ★

ちなみに下手側だったので前述のお顔ベチャ加藤さんバッチリ◎ ほっぺたがべちょっと潰れておりました。ばぶぅ。因みに1階席でしたが他の席より1段上がっていたので見切れる可能性がございますって言われたのに全部きちんと見えました。グローブ座凄い!!ありがとう!!!お陰で首が痛くなることもなく、2回目より席は近い割に見やすかった。初日公演ということもあって少々かんでいたけど、詰まるわけでもなく気になる程度のかみではなく寧ろよくここまで、、、!という台詞の長さと量(伝われ)

捌け口に近い席だったからこそ伝えたいのですが、加藤さん多分長ゼリフほぼ一息で言ってる。はけて行くときに凄くはあはあしていたのが印象的だった。恐らくその間に呼吸を立て直していたと思う。衣装が長袖だったのもあり、髪やおでこに汗が滲んでいたのも印象的だった。はけると言っても本当にはけてセットチェンジが行われることはほぼなく、加藤さんはほぼ舞台に出ずっぱり、捌け口の方に行って捌けたと思っても裏を通って反対側の扉から出るためだったり、休憩を含め約3時間の間ずっと舞台に立っていた。初日なだけあって加藤さんも、そして観ているこちら側もかなり緊迫した空気で終始観ていましたが、糸巻き芸の日替わりのシーン、コーラの茶番などは笑いが起こるなどメリハリがあってとても良かった。コーフィのお祈りのあたりで会場からすすり泣きが起こり始め処刑シーンからその後ラストのセリフにかけては会場中から静かな泣き声と鼻をすする音。加藤さんがはけて行ったあと一気に重い空気が。それくらい、いい意味で重い空気を残した舞台でした。カーテンコールは3回加藤さんオンリー → キャスト全員 →加藤さん挨拶

2階席を見上げて挨拶をしていた姿はポールの面影を残しつつ、加藤シゲアキになっていて胸熱。

 

 

2回目 10/14 マチネ

中日も過ぎて折り返しに入ったグリーンマイル。この日はセンターブロックF列前回とはかなり見え方が異なりました。そして首が痛い!舞台のほうが高いのでね、そこらへんは仕方ないです(笑)

1回目の時点では内容をつかむのに精一杯でとにかく号泣していてスタオベも泣きすぎてフラフラになりながら、劇場を出たのも放心状態で最後の方だったので2回目はかなり私の目に映るグリーンマイルが変わりました。

結婚指輪、ちゃんと見ました。1回目のときはそこまで細かいところを見る余裕はなく(笑)見逃していた結婚指輪でしたがきちんと左手薬指に光っていらっしゃいました。

この日は一度も噛むことなく、こんな上からで心から申し訳ないのですが成長したなあの一言。舞台ならでは、生の良さを感じました。

前述通り糸巻き芸の日替わりシーンは初日とは別のものでこの日はMr.ジングルスはピザ屋になるらしい(笑)(初日はモターボードを操縦して糸巻き芸の大スターになるっていう落ちだったはず。)

調べてみたところ日替わりシーンの集計があり面白かったので興味がある人は是非見てほしい。

ジングルスがやること①②そしてジングルスがその後どうなるか、他の役者合いの手のコメントまで全てばらばらで本当に日替わり、これこそアドリブ。それに合わせて演技をしていた他の看守が凄い。そしてかなりの長ゼリフをアドリブで面白おかしくそして早口にまくし立てていた中山さんが流石でしかない、、、。

日替わりシーンの少し前のマウスビルの入場料のくだりが好きで2日目はわかっていたから思い切り笑った(笑)子供は2セント!大人は10セントだ!年間パスもあるぞ!10セントだ!そりゃあみんな年間パス買っちゃうよな!ってやつ。めっちゃ笑わせてもらった 爆笑

あとはこの日印象的だったのは最後の処刑シーン。

ポールが執り行ったコーフィの処刑、電気椅子稼働のスイッチを入れる前に台詞を言うのだが、「第二スイッチ、オン。」これでステージ光が一気に落ちにも見えないほど真っ暗になる代わりにとてつもない爆音、そして椅子の頭上にピカピカとスパークが走る。言わばこの台詞が行為が、その人を「殺す」ということで、それを受け持ったポール。それも冤罪のコーフィを。分かり合っていた不思議な仲になりつつあったコーフィを自らの手で殺さなくてはならない辛いシーン。

初日は目に涙を沢山浮かべてうるうるし、声がかなり震えていた。

この日は泣いていた。強い意志が見えるその目に溜めた涙を綺麗すぎるくらいに零し泣きながらこの台詞を放った。

言うまでもなく、悲しく辛かった。どうしようもない感情でいっぱいだった。

 

そして、そんなグリーンマイルからはや一年。

この一年考えたことをそろそろ考察として纏めようと思う。

 

 

人にとって救いとは何か、罪とは、罰とは、そして生きるとは何か。

 

それを考えさせてくれる舞台、グリーンマイル

加藤さんが出演しなければ私は観劇することは勿論なかっただろうし、シリアスな雰囲気の話が苦手な私は原作そして映画なども手に取ることは無かっただろう。そしてそのまま当たり前のように生きていたのだろうか、そう思うと今ではとても怖い。

 

さて、私情をぶち込むと私はキリスト教教育の元で育った。(尚クリスチャンではない)

そんな私が事前知識無しでこの舞台を見て感じ取ったのは、イエス様の模倣。模倣というと響きが悪いのがなんとも言えないが

人の為に自分を犠牲にし相手を救う、そして最後は自ら死んでいく。死ぬ前に祈る、その姿で私がリンクしたのはイエス・キリストの姿そのものだった。

このブログを書くにあたり調べたところ、原作者スティーブン・キングキリスト教いわば、聖書をなぞった話をいくつか書いているようでグリーンマイルもその一つ。

コーフィはイエス・キリスト ポールは聖者 所長は総督ピラト グリーンマイルゴルゴダの丘、、、、。

なるほど。それしか出てこない。所長ピラト!大いに納得。通りで最後の最後ま微妙に好きになれなかったわけだ、。そしてグリーンマイルゴルゴダの丘(十字架がある場≒イエス様が十字架刑にかけられた場所)

この舞台を青山学院でキリスト教を中高大と学んだ、授業中暇さえあれば聖書を読んでいた加藤さんはどう感じ取ったのだろうか。1年たった今もう一度話を聞きたいばかりである。私と加藤さんの学校は教派が違うので感じ方も違うのかなと思ったりもする。

 

 

コーフィは死ぬ前にポールへ自分の寿命を委ねた。それは贈り物とも取れるが、沢山の人を処刑、つまり自分の手で殺してきた ポールにとって自分だけが永らえることは言わば一種の罰であり、皮肉な話だ。そして70年経ったあとも周りが死んでいく中、自分一人取り残され生きていくそれはどれほど辛いことなのだろうか。

この物語は救いどころのない救われない悲しすぎるむごい話だった。人にとって救いとは何か。コーフィ、ポール、人を殺していくことと子供を育てることのギャップに苦しんだディーン。そして人の死への興味から狂ったパーシー、彼らは本当の意味で救われたのだろうか。

コーフィは冤罪で自ら諦めるように、しかし人の痛みはこれ以上負うことはなく処刑され、ポールはたった一人生き残り、ディーンは職場を離れ、パーシーは精神病棟に行った彼らは本当に救われたのだろうか。

死ぬ前、コーフィは自分の名前以外覚えていないにも関わらず、唯一覚えていた拙い祈りを捧げた。大きな体に似合わないそのあまりにも儚すぎる姿は目に余る程痛々しいものだった。救われたい、神様どうか救ってください、たったその一心が強く見えていた。

この舞台と祈りは切っても切り離せない絶対的に必要な場面であった。それは最期まで一心に救いを求める一人の人間の最期の姿だったからである。コーフィにとって救いとは祈りだった。ディーンにとって救いは今まで自分がしてきた行為からの逃げだった。これ以上人を殺すことなく、手を引くこと。それが精一杯の罪償いだったのだろう。この物語の舞台は1932年。世界恐慌の時期である。そんな中、子持ちで職を失うはかな痛いことだ。それでもその行為に走ったのには耐えられなくなりどうにかこうにか、彼なりの救いを求めたからではないのだろうか。では、ポールにとって救いとはなんなのだろう。コーフィに委ねられたあまりにも長過ぎる寿命 一人取り残される自分。死ぬに死ねない余命。冤罪のまま見てみぬふりをしてコーフィをこの世から送ってしまった過去の罪、そしてそれに対するコーフィからの罰。あまりに残酷すぎないだろうか。救われることはないのだろうか。彼は死んだコーフィの亡霊に向かって最後にこう言う「早く返したいよ、、、」そう、コーフィがメリンダから受け取った旅人のメダル。コーフィが死ぬ前に預けたそれは未だポールの手の中だ。返しに行くという約束は70年経っても果たされていない。それでもそのメダルが手の中にある限りきっとポールは自身のグリーンマイルを辿ることができる。     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人は誰しも必ず死ぬ。

そう、皆誰しもグリーンマイルを歩く。

その人自身の人生というグリーンマイルを。

あなたにとって救いとは、生きるとは何ですか。