担降り

担降りします。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嘘です。「担降りしたい」です。

最近切に思う「担降り」とか「ヲタ卒」についてそんな気持ちのときに少し書いてみようと思う。

そもそも、担降りしたいと思ったのは私史上前代未聞の出来事。一時期は(と言っても担降りしたいと思いだしたのはここ1・2週間の話であるのだが笑)本気で降りれるんじゃないかと思った。例の6月にあった一連の騒動で何故か余裕をだった私がここにきて急に降りたくなったのか。怖い。加藤さんにズルズルとハマっていく自分が。熱が加熱してオーバーヒートしている今逆に自分を冷静に客観視したとき私の人生加藤さん色じゃんって割とリアルに思ってしまったから。加藤さんに依存しまくってる自分に気づいてしまったから。加藤さんがいないとリアルに生きていけないであろう自分が少し怖くなった。加藤さんを知らなかった自分はどうやって生活していたのだろうとさえ思ってしまう。具体的にどう加藤シゲアキ色なのか説明しようとすると難しいところがあるのだが私は加藤さんから色々与えられすぎてしまった。だから失うのが怖いしそうなったときにどうしていいかわからないと思う。

加藤さんの好きな曲として流される週末の楽しみsorashigebookで自分の好みの曲が流るだけで気分は上昇するし、そこで自分の知っているアーティストの曲なんて掛けられれば幸せの最高峰なんじゃないかってくらい幸せになれる。本当に自分って単純だしそれこそチョロオタだなあと思う。でもやっぱり加藤さんからはすごく沢山のことを学んだしそれこそ、本当にちょっとしたことだって色々得てきた。

例えば去年のソロ曲のあやめ。あの世界観を紐解いていくとき、あやめは英語でIrisっていうんだとかIrisはギリシャ神話で虹の女神なんだとかそういう教養的なことはかなりこの数年で得た。聴く音楽の幅も広がって毎日が豊かになったし元々好きだった読書も新しい作家さんに出会ったりした。幼い頃一度読んで難しくて避け続けてきた星の王子さまもようやくもう一度読むきっかけを作ってくれたのは加藤さんだったし本当に読んでよかったと思っている。今では当たり前のように聴いているアーティストに出会ったきっかけも加藤さんだったり見る気のなかった「君の名は」を見たのも加藤さんがsorashigebookで来週語るから!!と楽しそうに豪語してるのを聴いてこれは観なくてはと急いで映画館足を運んだからだった。

アイドルという点だけでなく一人の人間として私に沢山の経験と多くのことを得るきっかけを作ってくれた加藤成亮という人間に私はしてもしきれない感謝の気持ちで一杯であるし、これからどんな経験をすることになるのか、どんな世界を見せてくれるのか楽しみな気持ちでいっぱいだ。

加藤さんに出会って私は確実に人生が大きく変わったし、これから先、人生を振り返ることがあったら、私の人生の大きなターニングポイントであることは間違いなく断言できる。過去と他人変えられないという有名な言葉がある中私はそうは思わない。大きく人生を変えてもらったから。

人に何かを与え続けるのはきっと難しいことだしそれが継続的にできるのはかなり凄いことであると思う。そして、他人(ひと)から求められる人間の魅力はこの点だなと私は思う。だから、何十万人もの不特定多数の人間から求められ続けている加藤さんは純粋に凄い人であるし、その期待を常に背負って生きている加藤さんは私が計り知れないほどの重圧の中で生きているんだろうなと少し悲しくもなる。そしてその重圧を加えている一人に私もきちんと加算されていることも。

話を戻すと、常に何かを与え続けて貰えることが当たり前になっている自分が少し恐ろしい。そんなことは世間的には当たり前ではないし、求められる人間が何かを与えられる人なのだとしたら何かを与えられる人に自分がなるべきである。貰ってばかりいるこの状況が当たり前だと思ってはいけないと少し頭が冷えた。

でも、何かを与えている人ってどんな人なのかそして一体果たして自分はそんな人になれるのか、まずは自分のスペックを高めないとなあとつくづく思った担降りについて考えたことの記録。そして結論的にはそのスペックを高めるために自分の中のストックを増やすために私は加藤さんをこれからも好きでいたい。彼が見せてくれる新しい世界をこれからもみたいそう思った。

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